8月6日は、ともに祈る日。
東広島混声合唱団とともに ヒロシマで生まれた歌を未来へ
2026年8月6日(木) 19:00〜 | 東広島芸術文化ホール くらら 小ホール | 無料
東北に生まれ、広島に移り住んで50年以上。現常任指揮者は「なぜ自分は、同じ日本にいながら、こんなにも知らなかったのだろう」という問いを、長年胸に持ち続けてきました。その思いは、定期演奏会でヒロシマにまつわる作品を幾度も取り上げることへとつながっていきました。
被爆の記憶は、爆心地の近くに暮らす人だけのものではない。東広島の地に根を下ろす私たちにも、できることがある。その積み重ねと思いを、一つの場として結晶させたのが、「8月6日 涙の日 ともに歌う会」です。毎年8月6日に開催し続け、今年10回目を迎えます。
「涙の日」という言葉を、力強い筆跡で遺されたのは、団員であり被爆体験をお持ちだった青山念海さんです。
生家は原爆ドームの東隣に位置する西蓮寺。16歳のとき、学徒動員先の南観音町で被爆されました。あの日を知る者として、決して忘れてはならないという思いが、一画一画に込められています。
その書は2025年に旅立たれた青山さんの意志を継ぐように、今もこの会の魂として受け継がれています。
毎年この会の司会を務めるのは、広島市出身の団代表です。
当時17歳だった代表の母親は、原爆投下の翌日から数日間、地獄のような爆心地に入り、妹を探して歩き続けました。その日の様子も、胸の中にあった思いも、晩年までほとんど語ることはありませんでした。
あの日は、特別な誰かだけの記憶ではなく、その時代を生きた多くの人の、暮らしのすぐそばにあったのです。
何が起こったのかを、静かに、しかし確かに伝え続けたい。それが、代表がこの場に立ち続ける理由です。
会では毎年、児童部の子どもたちが平和をテーマに作文を書き、当日に朗読します。
平和学習として学校でも学ぶ機会はあります。けれどもこの会を通じて広島の歌に触れ、歌の背景を知ることで、受け取った種が自分の中に息づいていく。そのような実感を、子どもたちも口にするようになりました。
お仕着せではない率直な言葉は、毎年参加者の皆さまからも大きな反響をいただいています。
「こんなに原爆のことを知り、考えたのは初めてかもしれない」 ——年配の参加者
「来年も来ます」 ——毎年の励みになっている声
「原爆についてここで学べた。知るべきだった」 ——団員より
「私たち(他県)のグループでも歌っていきたいです」 ——東広島から始まった小さな会は、静かに、確かに広がっています
歌っても、聴くだけでも、ただそこに居るだけでも。